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99件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1984-03-29 第101回国会 衆議院 科学技術委員会 第7号

今回の箱根会談におきましても、そう突然に変なものが出るという可能性は少ないことがだんだんわかってきたという一部の結論もあったように聞いております。  この指針は、各省庁あるいは都道府県、それから団体を通しました民間の機関、こういうところに周知徹底を図りまして、実行に遺憾なきを期しておる次第でございます。

赤羽信久

1979-07-11 第87回国会 衆議院 航空機輸入に関する調査特別委員会 第9号

下に書いておきましたが、四十七年、ハワイ会談前の箱根会談でE2C輸入が話題に出るよう希望していた。これは日商岩井が希望していたのです、後から申し上げますが。四十八年十月に国防会議PXLAEW専門家会議ができました。第二次調査団専門家会議の要望で出かけていった。これが四十八年。四十九年の十二月に専門家会議の答申が出て、ここではAEWについては外国機導入という方針なんです。

大出俊

1979-03-17 第87回国会 参議院 予算委員会 第10号

それから、それが国産によってとんざをした、そこで箱根会談からハワイ会談に非常に期待をかけた、そしてハワイ会談の結果非常に希望が見えてきた、こういうふうにやはり国産から白紙還元ハワイ会談、この前後のことを釈明をされているわけです。明らかにこれはもう日商岩井箱根会談からハワイ会談にかけてのE2C売り込みに対する執念を非常に強く示しているわけです。

野田哲

1979-03-05 第87回国会 衆議院 予算委員会 第19号

したがって、ハワイ会談に先立ちまして、箱根会談におきましてこういう問題が取り上げられたわけでございます。外務省としては、各省がどういう購入計画を持っておるか、各民間セクターでどういう対米購入計画があるかという数字を取りまとめまして、アメリカ側に今後の日米間の収支の展望はこうなるというようなことについて数字を集めておったことは事実でございます。  

大平正芳

1979-02-28 第87回国会 参議院 決算委員会 第2号

そうしてこのハワイ会談については一方海部氏はどう見ておったかというと、海部氏は、この間正森衆議院議員証人喚問で聞いたときに答えて、ハワイ会談やその前後の箱根会談に注目し、こういう会議でE2C輸入が決まることを望んでおって、そうして毎朝、海部氏は田中首相のうちへほとんど日参しておったということをわれわれはつかんでおります。

内藤功

1979-02-09 第87回国会 衆議院 予算委員会 第9号

それが箱根会談、ハワイ会談を通じまして実務者会談レベルで作業が煮詰まってまいりまして、それがインガソル・鶴見会談として共同コミュニケと並行して公表されたのでございます。それは公表されておりますからお手持ちだろうと思いますけれども、そういう問題が主題でございまして、E2Cというものと非常にほど遠い問題がテーマになっておったわけでございます。

大平正芳

1978-04-05 第84回国会 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第4号

運輸大臣も御出席だったと思いますが、あのロッキード事件の問題になった当時、箱根会談、エバリー、今度はストラウスですね。     〔増田委員長代理退席委員長着席〕 そうして田中総理から福田総理丹羽運輸大臣でしたか佐々木運輸大臣でしたか、福永運輸大臣と、ずっと名前を入れかえますと、あの当時といまと似ているのじゃないか。ドル減らしだから飛行機を買いなさい。

池田克也

1977-04-07 第80回国会 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第5号

その際に、その前の箱根会談事務レベルで行われました、その結果出てまいりました集積回路あるいは電算機等輸入自由化推進、それから米国産品購入、アンチダンピング制度改善などについて事務当局でその合意できたことの内容を確認いたしまして、それを推進するというような話し合いが行われております。

間淵直三

1976-08-26 第77回国会 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第26号

中曽根康弘証人につきましては、昭和四十七年七月から九月、いわゆる箱根会談からハワイ会談にかけて問題になったいわゆる緊急輸入品目民間航空機を入れた経緯に通産大臣としてどうかかわっていたか、またはPXL国産化白紙還元についての疑惑もあり、コーチャン回想録の発表などによっても疑惑はますます深まっております。  

松本善明

1976-08-11 第77回国会 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第21号

坂井委員 日米通商会議いわゆる箱根会談におきまして、対米貿易不均衡の改善のために米側から出てました要求は九項目及び緊急輸入措置といたしましてエアバス購入要求が出される、ついては日本側はそれに対する対応といたしまして、あらかじめ事務レベル討議資料を用意いたしました。

坂井弘一

1976-08-11 第77回国会 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第21号

坂井委員 コーチャン氏が七月の二十九日に——七月二十九日といいますと、箱根会談を終えまして明くる日、エバリー特別顧問通産省に中曽根通産大臣を訪ね、その直後田中総理大臣に会っておる、その中曽根エバリー会談の時期であります。コーチャン氏が実はこういう発言をしております。

坂井弘一

1976-07-21 第77回国会 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第16号

重要な箱根会談が行われたときにも来日をしている。加えて、四十七年、ニクソン・田中会談から始まるあの一連の重要な十月に至る時期、ずっと滞在をして十一週間も滞日をしている。まさに一企業の首脳部としては異常な力の入れ方であります。これについてコーチャンはどう言っているか。ある新聞記事でのインタビューでこう言っております。日本はぜひとも攻略しなければならない巨大な戦略的マーケットである。

橋本敦

1976-07-13 第77回国会 衆議院 決算委員会 第12号

庄司委員 当時の七月二十七日、ちょうど箱根会談が行われているころですが、この当時の新聞報道によりますと、「日本側代表団筋が二十六日深夜明らかにしたところによると、わが国は二十七日の会議米側に対し、緊急輸入措置として」濃縮ウラン、あるいはエアバス、それから飼料の備蓄輸入、こういうことなどを中心に「総額五億ドル以上」こうなっていますが、「対米貿易収支黒字幅縮小策を提示する方針を決めた。」

庄司幸助

1976-07-08 第77回国会 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第14号

そして、そういう導入部門からいよいよ山場、つまり箱根会談からそしてハワイ会談というところで仕上げがなされるということになってくるわけで、この間の解明が今後の当委員会においても最も重要な問題じゃなかろうかという点から、ひとつ質問を進めてまいりたいと思います。  最初にお聞きしたいのは、いわゆる鶴見インガソル会談、これについてのコミュニケ、これは九月一日付であります。

野間友一

1976-07-08 第77回国会 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第14号

そこで問題は、稲葉委員指摘をしておりましたけれども、キッシンジャーと田中総理会談、その以前の箱根会談この箱根会談から、ずっと一貫して、このエアバス導入について、いつの時期に、だれが、どのように、これを出したのかということをフォローしてみました。そうしますと、この中で明らかになったことは、この箱根会談の中でアメリカ側からエアバス購入についての申し入れがあった。

野間友一

1976-06-23 第77回国会 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第10号

これはその前の四十七年の七月二十五日から開かれていた日米通商会議箱根会談で、運輸省案として日航、全日空から機材購入計画を聞いてはじき出されたものだ、こう言われておるわけなんです。この積算根拠について証人御存じだと思うのですが、根拠はどこにあるのか、またこの積算を行った者はだれか、当時の航空局長としては十分御存じのことと思うのですが、ひとつ証言をお願いします。

田中武夫

1976-06-22 第77回国会 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第7号

対馬孝且君 輸入を踏まえてと言ったってだね、当時明らかに、これは箱根会談それからホノルル会談でも明らかになっているように、いずれにしても三億二千万ドル、日本としましては当時ドル減らしのために協力をしようと、こういう流れがあったことは事実なんですから、そこに、はっきり外人記者会見輸入にウエートを置くということを言っている限り、結果的にはやっぱりP3Cについては輸入をしようという流れであったということは

対馬孝且

1976-06-08 第77回国会 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第3号

四十七年の七月二十五日に日米通商箱根会談が行われていますね、御承知だと思います。七月二十五日の夜に、そのアメリカ側の副団長が記者会見をした。マルム・グレーンという人。この人は軍事用飛行機など、兵器を買ってくれということをこの会議では言ったんだ、主張するんだと、こう言っております。それで、軍事用兵器軍事用飛行機です。

神谷信之助